差異のないものの存在意味があるのか。

4日後に首を吊ろうと考えていたのに感情が平板化しているせいか世界が綺麗に見えるでもなく、汚れて見えることもない。ただ、苦しさだけが存在している。死が4日ずれることに何の意味があるだろうか。

須原一秀は65歳で自死を選んだ。絶妙な年齢だ。65歳以降の同様の自分が同一人物であると認めることを難しくないのかもしれない。

10歳が20歳の自分を想像することはできないし、20歳が10歳の自分が同一の人物であると物理的な事象以外で認めることはできない。

今。この瞬間にも過ぎ去っていく空間の中でしか、自分が自分だと認めることはできない。

僕は4日間を待ってみようと思った。